岡谷市の紹介

更新日:2020年03月27日

本市は、長野県のほぼ中央に位置し、北は松本市、東は下諏訪町、西は塩尻市、南は諏訪市や辰野町と接しています。諏訪湖の西岸に面し、西北には塩嶺王城県立公園、東には八ヶ岳連峰、遠くには富士山を望む、湖と四季を彩る山々に囲まれた風光明媚な都市です。また、諏訪湖唯一の流出河川に臨み、ここより天竜川が発し、遠く浜松に達しています。

市民憲章

緑と湖につつまれた美しい郷土、ここに生きるわたくしたち岡谷市民は、先人の努力をうけつぎ、明るく豊かな近代都市をめざして、こ の憲章をかかげ力強く前進します。

わたくしたちは、
あたたかい心でまじわり、住みよい人間尊重のまちをつくります。
自然を保護し、公害のない美しい環境のまちをつくります。
心身をきたえ、明るい健康のまちをつくります。
教養を深め、かおり高い文化のまちをつくります。
仕事に誇りをもち、豊かな産業のまちをつくります。

(昭和46(1971)年7月1日制定)

市章

上半円は「岡」、下半円は「 谷 」を表わし、
上下半円が協力円満な市の発展を表現してい
ます。

(昭和11(1936)年5月9日制定)

市花・市木

        市花
        つつじ

        市木
        いちい

位置・面積

位置 東経138 ゜ 03 ´
北緯36 ゜ 04 ´
長野県岡谷市幸町8番1号
広さ 総面積 85.10㎢
東西 7.3km
南北 16.7km

資料:都道府県及び市区町村の東西南北端点の経度緯度、全国都道府県市区町村別面積調

人口

姉妹都市

国内 群馬県富岡市
昭和47(1972)年10月15日締結
岡山県玉野市
昭和55(1980)年10月1日締結
静岡県東伊豆町
昭和60(1985)年3月2日締結
海外 アメリカ合衆国ミシガン州マウント・プレザント市
昭和40(1965)年6月14日締結

 

岡谷市の誕生

本市は昭和11年4月1日に誕生しました。明治時代から昭和初期にかけて製糸業で栄えていた「平野村」は、当時世界的恐慌の打撃を受け、不況に苦しんでいました。行き詰まりの村政を転換させ、多角的工業都市として再出発し、人心の一新を図るため、村として日本一人口の多かった「平野村」から町制を経ず、一気に市制を施行し、「岡谷市」となりました。
昭和 30 年には「湊村」、「川岸村」を、 昭和32年には「長地村」を合併、昭和33年、旧長地村地籍内の東山田、東町の一部を下諏訪町へ境界変更して、ほぼ現在の形となりました。

岡谷市の合併の歴史

明治7(1874)年10月13日 筑摩県令の合併勧奨指導のもと、7ヵ村が合併し平野村となる。
筑摩県諏訪郡岡谷村・小口村・小井川村・今井村・若宮新田村・西堀村
明治9(1876)年8月21日 平野村が長野県の所属となる。
(筑摩県庁が全焼した時に、全国府県の整理にあたり、筑摩県は廃止され、長野県に併合される。)
明治22(1889)年4月1日 町村制により、平野村が単独で自治体を形成。
昭和11(1936)年4月1日 諏訪郡平野村が改称・市制施行して岡谷市が発足。
(村が町制を経ず市制施行したのは長野県では唯一。全国でも11例のみ。)
昭和26(1951)年1月1日 東筑摩郡塩尻町・筑摩地村(共に現在の塩尻市)の東山地籍を編入(境界線変更)。
昭和30(1955)年1月1日 諏訪郡湊村(2ヵ村、人口3,456人)を編入。
昭和30(1955)年2月1日 諏訪郡川岸村(5ヵ村、人口7,484人)を編入。
昭和32(1957)年3月25日 諏訪郡長地村(3ヵ村、人口5,797人)を編入。
昭和33(1958)年7月1日 旧諏訪郡長地村の東山田地籍が分市し諏訪郡下諏訪町へ(境界線変更)。

 

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〒394-8510
長野県岡谷市幸町8-1
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